友人からはよくある質問で、「今買い時かどうかを知りたい。」ただ、それだけは難しいと言わざるを得ない。誰もがタイミングよく買いたいとは思っている。株と一緒で、最低時に購入し、その後価値が上がっていたい。株を必ず上がるよと言ってアドバイスしてはいけないのと同じである。
まず、上がる要素、下がる要素があれば予想は出来るだろう。それでは今後起きる事柄がもし分かったら買い時を測れるだろうか。世界中で毎年の様に地震や台風、紛争、疫病、山林火災や蝗害などが起こっている。買わない理由を探すのは簡単だ。逆にハッピーな事柄はなかなか見つからない。ニュースは負の要素の方が人の関心を集め易いので、順調にいっている良い出来事はニュースにはならない。何も悪いことが起きないことが続けば、住宅購入ラッシュが起きるのだろうか。
もちろん、未来は予想できない。今、好景気/不況といってもそれをタイミングがいいからだけで不動産を購入できる力のある人は少ない。目の前の決断ができない人が、リーマンショックの様な先の見えない闇の中契約書にサインすることはできないであろう。やはり少しでも好景気感の時の方が住宅は成約になり易い。ただ、リーマンの時は大幅な値引きが起こり、1000万円引きしていても売れていかなかった。その時買っていればまず儲かったはずだ。皆それを知ってはいるはずである。好景気の時より、大不景気の時の方が買い時ではないか?
ただし、リーマンショックの過去には戻れない、そして未来はわからない。結局[今買うのか、もうちょっとしてから買うのか]くらいしか選択肢は無い。そして年齢の壁は必ず来るので、もっと後で買うという選択肢がベストであることはあまり無い。そうなると答えは自ずと決まってくる。あなたが何歳であっても年収がいくらで、子供がいてもいなくても、「今が買い時。早く買った方がいい」がアドバイスするときの答えである。
結局タイミングを見計らって戦略的に購入することは難しく、買いたければその時が買い時ということがわかり、「今買っちゃいなよ」とアドバイスするしかない。思い切った結果、後悔もあるかもしれないが、買った後悔よりも買わなかった後悔の方が大きいから決断できているのだ。
決断できないことの後悔とは? 例えば何年も家探しをしている人は、毎年損していることになる。仮に10万の家賃を払い続け5年経ってしまった人は、600万円を捨てていていることになる。 6年も探すなら600万以上お買い得な家が見つからないと待ったことで成功したとは言えない。
だから待って買って良かったというケースはレアだ。仮に上の例で600万安く買うことができたとしても、年齢は5歳増えているので、ハイペースで返していかないと追いつかない。5年前に買った自分とのレースでは、早く買ったであろう自分にはなかなか追いつけない。
今、特に買わない理由がないのであれば、それは自分が決めた「根拠のないブレーキ」なのだ。意味もなくかけるブレーキに根拠も勝算もない。ただ優柔不断な自分か、人のアドバイスを聞くことができない性格な自分について冷静に考えるべきだろう。何で止まったのか。なぜ買わないのか。理由を探しても明確なものは見当たらないのであろうか。
結論としては、誰に聞いても買い時はわかりません。不動産関係者ほど「今すぐ買え」と即答しますが、これしかありません。ふざけているわけでも親身になってくれないわけでもありません。そして最後は自分で決めないといけません-(A) 誰のせいでもありません。自分で決めないと後悔しかありません。買ってしまえば、過去を振り返る人はあまりいません。日々忙しくて後悔している暇もないし、あそこで買わなければという妄想をしても、何も変わりません。そうなると「買い時って何か聞くな、自分で決めろ。」に近いかもしれません。考えるな。決断せよ。迷うな。止まるな。前進あるのみ。
-(A) 極めて優柔不断な人がいます。いくつもモデルルームを見てるが決められない。営業としてははっきり言って苦手なタイプです。本人は至って真剣だが、一旦、決めないなら家探しをやめたほうがいいと話します。条件をしっかり決めて、これがこうだったら買うと決めてから家を出た方がいいと。契約の直前で辞めたことがある(何度もある)ということを話す人がいますね。「私は病的に決められませんので、買いませんから」と言っている様なもので、営業側もボランティアではないし、最後は買わない人に説明をすることの絶望を強いるわけで。そんな人ほど「家を見つけるのは最低10件は見ないと」とか言っているのでタチが悪いことです。最初に「あなたからは買わない」が含まれているんです。だったら帰れと言えないじゃないですか。だから関係が良くないまま苦痛の2時間が過ぎます。それでもなんとか盛り上げようと何か話しても感動も感想もない。盛り上がりません。頑張って説明して疲れるんです。その先「来ないで欲しい」と思われる客にならない様、ほんの少し大人のふるまいをお願いしたいという心の中の叫びでした。